※はじめに※
この記事を書いている私は医療関係者ではありませんし、乳がんについて専門的な知識もありません。
この記事はあくまで「乳がんになった母をもつ娘」として、毎回病院へ付き添って知ったこと、日々の母の様子を見て感じたことなどを書いています。
この記事を書こうと思ったのは、母が乳がんになったときに「○○の情報が欲しいのに、探してもない!」ともどかしい思いをしたからです。治療に役立つような専門的な情報はありませんが、私と同じような思いをしている方にわずかでもお役に立てれば幸いです。
ちなみに今回は母の右胸の異常に気付いて病院へ行き、乳がんの可能性が高いとわかってからの実際の日程について書きたいと思います。
理由はその時「これから一体どんな日程で、どんなことをするの?」と不安で調べてみたのですが、専門用語が多く、実際の日程がわからなくて困ったからです。
もちろんいつどんなことをするのかは、人によって、あるいは病院によっても変わってくると思います。なので今回ご紹介するのは、あくまで母の場合の日程とご理解頂いたうえでお読みください。
母の右胸の異常に気付いてから、入院~退院するまでの日程
今回は簡単に日付と、その日行ったこと、言われた内容などを書いています。専門用語の説明や細かな内容については、次回から書いていく予定です。
1月30日・・・夜、お風呂上りに母の右胸の異常が判明
→「乳がんかもしれない」と思う。
2月3日・・・乳腺外科で検索して出てきたクリニックへ。
→先生は男性で、マンモグラフィ、超音波検査(エコー)、触診を行い、その後の診察で「5段階中の5、ほぼ100%乳がんです」と言われる。この日に細胞を摂って検査に出す。結果は1週間後と言われる。
2月10日・・・朝の10時くらいにクリニックから「検査結果が出た」と連絡。
→タクシーを飛ばして行くと、「乳がんです」と告げられる。この日に「骨や臓器に転移がないか調べる必要がある」と言われ、別の総合病院で検査を受けるため12日と13日に予約をとってくれる。その結果は17日のクリニックの診察で伝えると言われる。
2月12日・・・検査のため総合病院へ。
→14時からMRI。造影剤を入れる検査のため、お昼ご飯は抜き。
2月13日・・・検査のため総合病院へ。
→朝ごはんを抜くように指示がある。9時に骨シンチの検査のための注射を受け、9時40分からCT検査。13時から骨シンチの検査を受ける。
2月17日・・・検査結果を聞きに、午前中にクリニックへ。
→「骨や臓器に転移はない」と告げられる。この時点で「ステージⅡb」、脇の下のリンパ節に転移があると言われ、乳がんの種類は「ルミナールBタイプ」と告げられる。
がんが乳管内に広がっているため、「右の乳房を全部とる必要があるだろう」と言われ、手術後の抗がん剤治療や放射線治療、ホルモン療法などについても説明を受ける。今日以降の治療などは全て大学病院で受けることになり、次の日に予約をとってくれる。
2月18日・・・大学病院の乳腺外科へ。
→先生は女性で、クリニックで受けた超音波検査(エコー)や触診、さらにまた細胞をとる。「ダブルチェックのためです」と言われる。この日に「手術をします」と告げられ、禁煙するように言われる。25日に検査結果を聞きに来るようにとのこと。
2月25日・・・検査結果を聞きに大学病院へ。
→クリニックと同じ結果で、「ステージⅡb」、脇の下のリンパ節に転移があると言われ、乳がんの種類は「ルミナールBタイプ」と告げられる。この日に手術は「3月5日か19日」と言われ、その前に「血糖値が高いから、手術前後に血糖コントロールが必要」と言われ、27日に糖尿病・内分泌科で診てもらうことになる。
2月27日・・・糖尿病・内分泌科と乳腺外科へ。
→糖尿病専門の女性の先生の診察を受け、飲み薬の量が増えることになる。さらに3月12日に栄養指導を受けることになる。入院が3月17日、手術が19日に決まる。右の乳房は全部摘出、脇のリンパもとる手術で、2時間30分から3時間くらいの手術になると聞く。入院期間は10日から14日くらいで、手術後はホルモン療法は必ず、それ以外は手術の結果次第と言われる。
3月12日・・・栄養指導と乳腺外科へ。
→個室で普段の食事などについて何枚かある問診票を書いた後、女性栄養士の方から食事で気をつけることなどについて指導を受ける。
3月17日・・・入院
→9時30分にタクシーを予約し、入院手続きの後に病室へ行く。入院中の生活についての問診票を書き、手術の説明を受けて同意書などを記入。荷物の整理が終わると、私は帰宅。
3月19日・・・手術
→手術時間は2時間30分から3時間と聞いていたけれど、実際は5時間くらいかかっていた。術後に母の顔を少し見ることができ、その場で先生から説明を受ける。思ったよりリンパへの転移がひどく、抗がん剤治療と放射線治療が必要になると思うと告げられる。
4月1日・・・ドレーンがとれる
→母から電話で「やっとドレーンがとれた」と連絡を貰う。これがとれるまで退院できないと聞いていたので、退院はもうすぐだとわかる。
4月2日・・・退院が明日と決まる
→母から退院許可を貰ったと連絡を受ける。
4月3日・・・退院
→退院は9時30分までにと決まっているので、8時30分頃には病院へ行く。先月分の入院費を支払い、今月分は計算がまだなので後日になる。大量の荷物を持ってタクシーで帰宅。
初めてクリニックへ行ってから怒涛の日々だった!
2月3日に初めてクリニックへ行ってから、受けたことのない検査の連続。さらにとんでもなく待ち時間の長い大学病院にしょっちゅう行くことになり、母は当然ですが付き添いである私も正直ヘトヘトの日々でした。
そのうえ今回は書いていませんが、母は糖尿病のため別の総合病院を1回受診、さらに耳鼻咽喉科と眼科も受診。しかも異常に気付く半年以上前とはいえ引っ越した関係で、元の病院から自宅近くの病院を紹介して貰ったところだったため、3か所とも初診でかなり時間がかかって大変でした。
疲れやストレスから母が体調を崩して寝込む日もあり、他にも入院に必要なものを揃えたりと、病院へ行っていない日々もなにかと忙しかったのを覚えています。
ただ例えは悪いかもしれませんが、乳がんとわかった瞬間にベルトコンベアに乗せられたような感じで、あっという間に入院、手術、そして退院という感じでした。
体力的にも気持ち的にも余裕はなかったのですが、今振り返ってみるとそれが良かったのかなと思います。
人によっては検査や手術まで、もっともっと時間がかかる場合もあるようですし、もしそうなっていたら悩みすぎてノイローゼになっていたかもしれませんし。まぁなんの知識も力もない私が悩んだところで、なんの役にも立たないのですが。
とにかくあくまで私の感覚ですが、初めてクリニックへ行ってから入院して手術を受け、退院するまで、かなり早くスムーズにいったと思っています。これは母の検査や手術などに関わった全ての方のおかげだと、本当に感謝しています。
ちなみに早くして貰うために私がしたことと言えば、検査や診察の予約を入れるため予定を聞かれた時に、「いつでも大丈夫です」と答えたことくらいです。そう答えるとクリニックでも大学病院でも、最短で予約を入れて貰えました。
もちろんなんでも早くして貰った方がいい、という訳じゃないと思いますが、人によっては手術まで何か月もかかる、という場合もあるようですし、もしそうなっていたら不安になったり、悩んだりする時間も増えていただろうと思うので、早くして頂いてよかったと思っています。
まとめ
今回は母の右胸の異常に気付いてから、入院~退院までの実際の日程についてご紹介しました。
もし「乳がんかもしれない」と思って病院に行ってから、「どんな日程でどんなことをするの?」と不安に思っている方や、知りたいと思っている方の参考になれば幸いです。
ただ今回ご紹介したのはあくまで母の場合で、誰でもこの日程で同じ内容のことをする、という訳ではないので、そこだけは誤解のないようにお願いします。
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